2020.11.10
provoke
中平卓馬という写真家がいる。
僕にとっては写真というものをアート的文脈とか、記録的な文脈といった語り口を抜きにして
写真はすべての物質をコレ化することだと語った彼の言葉には多大に影響を受けた。
タイトルにしているprovokeとは挑発という意味を冠した写真誌の名前である。
この本は1968年に中平卓馬、高梨豊、岡田隆彦、多木浩二らによって発刊された同人誌であった。
写真家、詩人、芸術評論家という近いようで別の畑の人々が集い、60年代にあった(であろう)閉塞的な意識を
写真を用いて破壊することを目的とした”思想のための挑発的資料”と言うものである。
2号からは森山大道も参加し、結論から言ってしまえばわずか3号目で廃刊となった。
68年の創刊より、約半世紀を経て復刊が行われるということで急いで予約をして
その事も忘れていたつい先日家に届いていた。
総括集まで含めてもわずか4冊の本が日本写真史に与えた影響力こそ、話に聞けど
その性質上4冊全てを一同に見る機会はなかったので、中身のわからぬ箱からこの表紙が出てきたときは
なんとも言えない気持ちになり、一度冷静になるまで頁をめくる気になれなかった。
僕はこのprovokeの合同執筆者の中において、先に書いた中平卓馬に肩入れしているフシがある。
理由はなにか特定の写真や、シリーズが好きということよりも
彼が残した言葉の方にあったりするところが、なんとも写真家であるのに僕のなかで不思議な存在である。
アレ、ブレ、ボケに代表される、破壊的なイメージに追随した多数の写真家のエピゴーネンのサイドから
provoke(やその時代の写真)は語られがちな印象がある。
しかし、それらの時期を経て後年中平卓馬が取り組むことになる植物図鑑の正確なる模写という人生をかけた課題には
アレもブレもボケも鳴りを潜め、ある意味では全くこちらの考える余白すら許さないような正確な描写になっていく。
それは中平卓馬の写真観というものが大きく変容したから、というわけではなく
彼自身が追い求めるが故にたどり着けなかった場所へ、彼が記憶障害を患ったことによって
奇しくも叶えられてしまったのである。
その探求の過程に生み出された衝動的なイメージと
自身が何者かも危うくなった彼がたどり着いた静的なイメージとが
共通のゴールに向いているという事実は、彼という人間の本当に奥底にある思想の深さを感じさせる。
全く彼のことを知らない人に伝わらない話ではあるが
一人の人間の多数の側面が、写真というフィルター越しに1つに重なる感動はとても美しく辛いモノだ。
まだ僕はうまくprovokeを飲み込めていないのだけれど、30歳の中平卓馬の声を少し聞けた気がする。
稲葉
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