カメラは人の手を渡るものだったりする。
例えば僕の手元にある何台ものカメラも、以前は違う人が違う目的で使っていたはずの一台たちなわけだ。
知り合いの店員さんの愛機と私のDⅢ
知らない誰かが何らかの理由で手放し、それをまた誰かが買う。
壊れていたものを直したり、直せないから手放されたものを買った人が修理に出すこともあるだろう。
2019年現在、生産が続いているフィルムカメラは数えるだけになってしまった。
キヤノンが最後のフィルム一眼レフEOS1Vを生産中止したのが昨年のこと。
サポートは2025年までを予定しているそうだ。
つまり、いま世の中にあるフィルムカメラの数が劇的に増えるなんてことはこの先基本的になく
それどころか毎日減っていっているとも考えられる。
そんな中で、カメラ屋や他人ではなく知り合いに自分の使ってきたものを渡したいという気持ちが強くなってきている。
松村さんの手元へ行った503cx
嫁ぎ先を決めるのは少々エゴイスティックな行為かもしれないが、大切に使ってきたものを大切に使ってくれる人へ
必要としてくれている人に渡したいというのはごく自然な気持ちだと思っている。
カメラは機種ごとの個性だけじゃなく、個体が持つ個性もあるものだ。
個体の癖をわかりつつ使っている人は物好きには少なくない。
”巻き上げが1.2巻なんだよね笑” ”前の持ち主の三脚スレがしっかりあってさ”
当然それらは不良と呼ばれるものの一つかもしれないが、愛着を持って接されてきた痕跡のようにも感じる。
だからこそメンテナンスしてあげて、次の誰かに渡すことも、そういうものを愛好している一人としての努めだと思う。
彼が手にしているPENTAX67をこの日引き取った
それぞれがそれぞれの生活の中で相棒を選んで、思い思いに過ごしてきたことを考えると
傷一つ見る目も変わらないだろうか。
というわけで、新しいカメラを買いたいので誰か私のカメラを買ってください。
稲葉