今年一年を振り返る的な大げさなことでないにせよ
今年の後半で撮ったフィルムを現像すると、必然的に自身の写真の変化を思うことになる。
今年の後半11月にM4からM-Aへのメインカメラの変更をして
その中で心境的にも一つの大きな変化があった。
M4は1967年ライカ社が一つの円熟期を迎えた頃に作られた名機だが
2022年現在発売から半世紀を超え、その存在価値は写真を撮る機械としてよりも骨董品へと置き換わりつつある。
その存在がカメラというもののあり方自体に多大に影響を与え、多くの名写真家たちが傑作を撮る為に用いた名機となれば
カメラファンの多くが一度はその機体を手にしたいと思うのは想像に難くない。
しかしノスタルジーが写真を作っているわけでないことは明らかであるし
道具としてのカメラを評価するときに、現代最新のそれらに骨董とも呼ぶべきカメラが性能として勝るという言い方は厳しいものがある。
フィルムカメラの名機と言われるものを、手に入る限り使い倒して
多くの人の憧れの一台を乗り換えてきた自分としては、もはや憧れやノスタルジーはカメラの評価基準ではなくなってしまった。
贅沢な話だけれど。
ただその中でも現代的な電子制御のカメラではなく、機械式最後(現状)のカメラに惹かれるのはそのテンポに尽きる。
どんな車も100kmの速度は出るけれど、フィーリングは違うものだ。
カメラの性能は当然、最高シャッター速度や連射性能、ファインダーの透過率で語られるものだが
そのカメラと使い手の歩幅が無理なく揃うこと。
それこそが最も大事なところでないかと思う。
稲葉