2022.01.11
身体性
写真が日常的にスマートフォンで撮るものになって早くも10年近く
写メという言葉があった頃は、写真と携帯で撮るそれには何かしらの線引がされていたように思う。
メールや当時のSNSであるブログ等の為に使われる言語的機能の強いものを写メと呼び
写真はまだ記録や記憶の補助として、何かしらの機会に撮るものというようなニュアンスではなかっただろうか。
しかし現在において、写真はコミュニケーションツールの一つになっている。
いやむしろ動画にその枠すら奪われ始めている気もするが…
紙としての写真を見たことがないという中高生に写ルンですが”しゃるん”と呼ばれ再流行しても
写真は現像後にデータとしてスマホに移され、ネガはどこかに放置されるか捨てられるかである。
その時の状況、気分、雰囲気を共有する手段として写真は使われている。
それも当然のことだろう。
ただ作品として写真を撮ることの意味は、ただ撮るだけでは成り立たなくなってしまった。
スナップやキャンディッドフォトは1億人のスマホユーザーという街なかの目に、一人のカメラマンで太刀打ちできるものではない
衝撃的な出来事、瞬間に居合わせさえすれば誰でも撮れるとすれば何をもってして”写真がうまい”のだろう。
それっぽいものと、本物の間にある隔たりは近づく事があっても消えはしないと信じているが
誰がその差を見極めてくれるのだろうか。
なぜあなたが、なぜフィルムで、なぜそういう写真を撮る意味があるのだろう。
現代写真において、紙であることや物質であることに寄り添ったアプローチが増えている。
評論家は身体性を持った写真という言い方をよく使う。
スマートフォンが体の一部になったデジタルネイティブの撮る写真に身体性はないのだろうか?
稲葉
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