前々回に「主戦場」という映画を見た話の時に、書こうと思って上手く書けなかったことがあって、それは映画の中でインタビューを受ける元日本兵のおじいさんが「あなた方には想像できないかもしれないが、ほんの数十年前まで日本は女性に充分な教育を受けさせなかった、ムダだといわれていたんです」と喋っているのを観て、思い出した事。
僕の父方の祖母は確かに読み書きが出来なくて、母によると、亡くなった僕の父はそれをひどく恥じていて、周りの人に隠していたらしい。
祖父は戦死して、僕の父が亡くなって、僕らが祖母の家を出てからも、祖母は誰も読まない新聞をとり続けていたのだけど、小さな子供のうちから旅館に住み込み奉公していて、家族恋しさに、30キロほどの距離を徒歩で兄に会いに行ったことがある祖母にとって、新聞が毎日届く自分の家って、豊かさの象徴だったのかもしれない。
読み書きの出来ない祖母は戦前の家父長制そのもので、一方、高度成長期の新時代を生きる、芸術と音楽好きの父にとって、それは決定的に相容れないモノだったかもしれないと思う。
「主戦場」を観てから、ずっとその事が頭のすみにある。
山下