朝日新聞web版でスクラップしている「ロゴ入りの服、選ばれる理由「わかりやすさ」への志向か」という記事の要約。
「昨今のファストファッションやインフルエンサーのデザイン、デカデカとしたロゴマークに頼っている「ケータイ小説」のような服が世に溢れているのは、Y2Kファッションの復活やインスタ映えという理由だけでなく「早送りで映画を観る人たち」と通底している。」
または某有名ファッションPRマンが苛立ち気味にツィートしていたという「ファッションに正解を求めすぎず、パンツの丈くらい自分の好みに直せばいい」という内容。
コストやタイムパフォーマンスと「失敗したくない」を重要視して、広く見て触れて着て審美眼が養われるという作業が省かれていることは、接客をしていて肌で感じます。
でも一方で思うのは、それってトップデザイナーその他の業界側の人達が「ケータイ小説的ファッション」に対抗しうる価値観を提示出来ていないのであって、とっくにアパレル産業がインフルエンサーに敗北している証拠だろうと。
そもそも本当にオシャレな人ってクラスに何人いる?という話。
ところでスクラップした呂布カルマの記事。
「ファンに歩み寄るのは簡単ですがアーティストが人気を追いかけると周回遅れになります。表現するのがゴールでその先を考えるのは不純、ラップについては絶対自分の方がわかっている自信があるから、そもそもファンのことなんかなめてる。」
人気欲しさにおもねらない、これはなかなか言えない。
それでロゴの服だってちゃっかり売っている(笑)身として肝に銘じるべきは、サービス業がお客様の嗜好を真摯に謙虚に追求するのが当たり前。
だけど「こういうのが欲しいんですよね?」は逆にお客さんをなめてかかっていると思うので、これでもくらえ、は常に隠し持っておこうと。
あくまで心の奥に、オン・ザ・カウンターで。
Tシャツの丈が気になるならカットすればいいしパンツが太すぎるなら細く直しましょう、なんならブランドのテンプレから外れた方が人間らしく見えませんか?
なんて正しいことは控えめで小声のほうが利くんです。
山下