kaddish development store

2025.01.30

 

 

 

7年前に亡くなったWACKO MARIAの武田さんから、自分がどういうふうに仕事をするかを学んだ。

今の店舗の三分の一ほどのスペースでkaddishを立ち上げて3年目、僕は福岡に来た武田さんから移転拡張を提案された。

確かにWACKO MARIAはシーズンを追う毎に人気を増しているところで、木造雑居ビルの通りから隠れた2Fにあるkaddishへお客さんはmapを見ながら来店してきたり、誰にも知られていなかったkaddishの潮目が変わっていた時だったし、シーズン毎のリリース品番も急増して現店舗が手狭なことは明らかだったから、それは絶好のタイミングだった。

でも元来怠け者で自分の事をスモールビジネスの人間だと確信している僕にとって、それは正直なところ煩わしい話しで、僕の事をよく知ってる武田さんはその事を気付いていただろうと思う。

その日遅くまで夜を一緒に過ごしてから、明日福岡を発つ前にもう一度顔を出すといって別れた翌日、武田さんはkaddishに来なかった。

夕方過ぎて何かあったかと心配になり電話してみたら、武田さんは新しいkaddishの移転先の見当をつけようと、朝早くから福岡の街をあちこちと歩き回っていた。

「じゃないと山下さんにアドバイス出来ないでしょ?」

ああ、この人は本気で僕と一緒に夢を見るために自分の責任を果たそうとしているんだと、ビジネス以上の大事なものを手渡された気がした。

 

もうひとつ、武田さんから学んだこと。

現店舗に移転してから、武田さんに負い目を感じていた時期があった。

固定経費と仕入れの買掛を順調に支払えず、しばしば返済の相談をする僕に、拡張移転を勧めた責任を感じていたのだろう「後悔していないか?」「人件費が負担ならkaddishのスタッフを引き取ろうか?」と気遣われることが恥ずかしくて情けなかったから。

だから武田さんが最初に脳梗塞で倒れた時も、落ち着いたらゆっくり話しましょうとメールをしただけで、2度目の脳梗塞で亡くなるまでの数か月、まともな話しをしていなかったように思う。

葬儀で奥さんとお子さんをお見かけした。

武田さんが家族に残したものと残せなかったものを思った時、ふと我に返って、これから家へ帰って、いさかいが続いて長く冷めきっていた妻へ自分の非を詫びて、関係を修復しようと思った。

大事な人に気持ちを伝えることの大切さを、武田さんは身をもって教えてくれた。

 

先週末、しばらく話していなかった古い友達から連絡あって、奥さんが癌になり日常が楽しめなかったと聞いた時、僕は武田さんとのことが頭をよぎって、今会って話さないと後悔するかもしれないと思い立ち、急に東京に行くことにした。

癌は幸い初期段階で良い医者と巡り会えたらしく、友達は思ったより元気で、僕たちはよく笑いよく話した。

ちょうど武田さんの命日の翌日でもあったので、墓参りに行った。

僕はひょっとして武田さんに呼ばれたのかもと思いながら。

会いたい人に「会いたい」と言える人だし、それはあり得る。

 

 

 

山下

 

 

 

https://kaddish.jp/blog/89598

BRAND

JOURNAL