チッソ工場が流す有害物質に冒されて体の自由を奪われた人達、自分達の存在をかけて興す抗議運動を力で押さえつけようとする工場側。
ジョニー・デップの「MINAMATA」を観ながら、もし自分が今の職を失ったらという不安を思った。
生活保護といった社会保障が脆弱になっていく中、夫は自営、妻はパートで細々と生活している我が家にとって「MINAMATA」は他人ごとじゃない。
劇中、歩くことも話すことも出来ない娘を抱きながら入浴する、母子の美しいシーンに「人間らしさ」を問われた。
「人間らしさ」とは決して最高の生活じゃなく、子供たちが将来を案ずることなく、個人が失敗を恐れず、たとえ失敗しても後ろめたさを感じないことじゃないか。
「MINAMATA」にしろチママンダ・アディーチェの「アメリカーナ」にしろ、感じるのは「人間らしさ」をスポイルするものの存在だ。
新自由主義なんかクソくらえ。
山下