kaddish development store

2021.12.01

 

 

 

SNSの情報量に対する反動かコロナ禍の影響か、断捨離の流れが加速しているように見えたり、お客さんから「服が要らなくなった」と聞きくことがあります。

ファッションは名刺みたいなもので、例えばTシャツのグラフィックで、着ている人がどんな人なのかコミニュケート出来るツールになりますが、時々そんな”おしゃべりな服装”がうるさく感じる事があります。

僕自身もトレンドの回転速度に自身を見失ないがちになったり、ファッション=無駄遣いという罪悪感を感じたり。

が、僕は身につけるものを「これくらいでいい」とは言いたくないし「これが私です」と服装で自己紹介していたいです。

それは暑苦しい言い方すると、自身の気骨と品位に関わる問題です。

余談ですが、僕はスタイリングのセオリーより自分の「個」が出るスタイルを楽しみたいので、OLD JOEのビーバーコートの中はWACKO MARIAのスウェットを着てエアジョーダンを履いたりと、古くからあるものと今ならでわのもの、HIGHとLOWが同時にある服装が好きだし、その方が人に褒められる事も多い気がします(ブランドの人に会うとちょっとバツが悪いけど…)。

分かりやすいアイコンを纏うより、自分にしか分からない価値観を見つけると、それはけっこう長持ちします。

 

今日アップしたFEATUREの「過度なものを削ぎ落して最終的に残るモノ」と書きながら、そんな事を思ったので覚え書きまでに。

 

 

 

山下

 

 

 

https://kaddish.jp/blog/42583

BRAND

JOURNAL