kaddishをオープンする前に数年アルバイトをしていたパチンコ店には、借金に追われる人、前科持ち、昼職だけでは賄えないシングルマザー、何らかの理由で会社員が務まらなかった人など”ワケあり”が多く働いていて、就職しても長続きしない中途半端な自分が”社会”を知るには充分な環境でした。
明日も知れない自分への不安と、重労働で減っていく体重と腰痛に悩まされる毎日で、そこはどこか世間と隔絶した暗い場所にいる感覚でしたよ。
だからといってつらい日々ばかりだったかというと、案外そればかりでもなくて、インカムで卑猥なジョークを言い合ったり、如何に出玉が入ったドル箱をきれいに積めるかを隣の島を担当している元ヤクザと競い合ったり、朝まで仕事の愚痴を言い合ったり、今にして思えば心身ともにハードな日々をそうやって慰めていました。
つまり人はどんな環境でもその中で慰めや楽しみを見つけるもので、それを希望とか光と言い換えてもいいと思うんです。
希望や光があると辞めないしあきらめない、というのは実感を込めて。
国立大学の受験に失敗した長男とそんな話をしました。
大学、就職、浪人etc社会のどこに属するかは結局のところ空っぽの箱で、どんな箱にも詰め込むべき人との出会いや経験があるはずで、それがこれから待っているって希望じゃないか?
考えてみたら共通一次前から自分を信じてないというか心ここにあらずというか、なんか怪しかった長男が、今は思うところがあったのか”心はひとつ”でガリ勉やってて、今日は最後の試験日です。
受かろうが落ちようが浪人しようが就職しようが、希望を持つ、ということを憶えた長男の事を今は心配しなくなりました。
山下